どんな言葉でも、
その人のその時
ニュアンスはただ一度きりで
僕らはそれを正確に区別しながら聞いている
同じものがないということは、
そのこと自体で尊い
草木も空も。
プラスチックの表面にはない、
緻密な質感をもつものだけが
描くことのできるものがある
人の交わす思いも
その時その実在だけにあることに
その命を持っている
近づき離れ、膨らみ萎み、生まれて消えて、
意味も、無意味も
全てをひっくるめて
それが美味しい
全てを込めた交響曲
五線譜に載せた音符の、
お玉杓子の一つ一つは
相手の意識で、己の意識
それからもう一つ、
互いの意識
声色の色彩、
ことばの抑揚
人格、気まぐれ、
いくらかの偶然の展開
それらの並びに
間があり、順序があり
曲のように連綿と続いて
微妙な心象をかく。
分析できないものなのだ。
生きた命は、手足を分けてしまえば、
もう命をなくしているように、
連綿とした大きなままのものが、
やりとりの中で
互いに描くもの
魂に色彩を与える
よく知られたものの正体。
目を覗く
表情が映る
どの範囲なら許されて
あるいは許されないのか
体温の変化すら、感じている。
殆ど目を向けなくても、
意識を向けただけで、
それぞれで、それを感じ取る。
そんな全部のやりとり。
日常たくさんの運動をする人は、
動かないでいると物足りない。
意識もまた、
生まれてこの方絶やさずに
大量のやりとりをしているから、
少なくなれば物足りなくなる。
幸せな巡り合わせの中
やりとりが十分できる日常に、
互い染め合いながら
良識を外れすぎることもなく、
心に飢餓を抱えることもなく、
互いの続きを描き、描かれ、
気持ちは足りていられる。
たとえ金銭が億万あっても、
満たされない孤独な人は絶えない
天地のごとく
対照的である。
言葉に説明しようとすれば
果てしなく難しいことを、
子供も大人も、
実際上手にやっている。
互いが互いを酌み交わす
そのための場所が
もっとたくさんあればよい。
利害を問わず、
互いを無償に楽しみ、
互いの生活の色彩を増すことを
一個の生の
主眼とする場所が。
つながりの両端
消極的には
人が大きな過ちに陥らぬための、互いの楔。
あるときは言葉により、
あるときは意識の総体を
酌み交わしては、
味わっては、
あるべき形を知る
積極的には
互いの到達できる場所を、高めさせるもの。
階段のように、
積み木のように
互いの総体が足されて
新しい大きな一つになる
互いの魂を食べて、
たくさんの人の魂が宿っているくらいが
きっと人の本当の豊かな姿。
幾人もの他者が
己のなかで生きている
そういう残響を
たくさん抱えていけるから
1人であったときよりも
知情意ともに
賢い人が生まれる。