専心と放心

やりたいことがあって、目をギラギラとさせながら、無心にやっていた。
それは、一つの僕の天命のように、役割だからいいのだけれど
目を挙げると、前を流れる黒い川面が視界に飛び込んできて
ふいに己の歪さが、鮮明に見えた。
こうして川面を見ている一瞬に比べると、
何かへの過ぎた専心は、
それ自体に深い秘密ももつけれど
どうしても単純で、空白にしてしまう領域もおおい。

川面は、正しい己も、つまらない己も、安らぎも緊張も、
全ての瞬間に、すべてのものを持ちながら触れていることを許してくれる。
正しさも、間違いも、優しさも、背離する孤独も。

目をやれば、いつも静かに流れてゆく。
それは音の話ではなく、そこに一緒に流れる意識のようなものの話だ。意識は己の内にあり、同時になにかをみればその上に遊んでいる。

川を見るとき、川面に遊ばせた心は一緒になって静かに流れてゆく。
静かで、それでいて激しさを許容し、
おのれの全体が羽を広げることを許す。

ちょうど体全体でのびをしたり、動き回ったりする自由を、
その場の空間が与えるように
内面が縦横無尽に動き回って、
そのことゆえに、その血脈を温かく通わせる、

そんな動作が行われるための空間になる。

季節は秋になって、今年も紅葉が真っ赤に染まった
どこまでも鮮やかでありながらも、どこかに健康な暗さを含んだ鮮やかさ
それが軽々しさを阻みながら、嘘のない暖かで高貴な表情を守る。

心に違わぬものはいつも、
美しさに幾ばくかの黒を併せ持ちながら、
なおそれ故に美しい。

光と闇。
完全には分離しきれずに、全体としての光だけがある。
社会から間違ったものが、消えるのは別に構わないが、
認識の世界からすらも消えるとき、
それはもおそらくう一方も浅くなり消えるときだ。
どちらも視野に入れながら、僕らの総体は背伸びをする。
あくびをしながら体を伸ばすように、
全部を携えながら、美しい事物の上で背伸びをする。

体の一部を置き去りにしたまま、本当の楽はできない。
心に明暗を持ち、その総じた美を携えて、
それから苦しみを招く誤りは注意深くさけて
翡翠のように深い色を宿しながら、生きてゆけ。

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