音楽と子ども

クラッシック は余計な重さをもたないから
余計な重さにまみれた大人には心地よい

子供にとっては
ひとときの時間枠に、一要素の音
多くてもすぐに数えきれるほど

混沌の中に生き、
それらを余さず消化して
なおそこに調和を見出し
その中に留まることを知るかれらには
退屈ですらある紛いもの

人が友との間で交わすものの方が
同じ時間あたりの内容も多く濃密だ

ただそこに奏者の心が現れて
当たり前の会話に身振りを加えるように
続きをを描くようにするときだけ
音楽もまた十分な重さを得る
命の続きであることで

ただの音の奔流は
どれだけ美しい心の影でも
魂の輝きと躍動が標本のように死んでいる
拡張して迫り 
収縮して退くような
生きているときの遊びをなくし
なかば養分を抜かれた食べもののよう
現実に勝る天上の音楽はない

クラッシックは大人にとって心地よい
もうすでに混沌を食べてなお
余さず消化するだけの腹を
半ば亡くした人になら
ちょうど粥のように
その心にあう

「今日も疲れた
 汚れがついた
 清い音楽で
 チリ芥を払おう」

 日常を上手に燃やし損ねて
 意識を排煙の如く舞う
 塵芥の燃えかすが
 音楽の軽さに払われて
 さっぱりその身から落ちるよう
 
 厳しい現実世界に惑い疲れた人を、責めはしない。

音楽は時に楽しく、心に叶う。
けれど誰かが、完全だなどと嘯くならば

河に臨んで月を仰ぐ
ひとときの精神を思い浮かべるといい
人工の音楽など、ひどく単調で陳腐だ

大切な友と過ごすような
ひとときの濃密な思いの分子の多さと、
交響曲よりも連綿とした
つながりの精妙さには遠く及ばない

闇の中にも白日にも、
あまたのものが深く広がった空間に、
力を持って行き渡り、浸している

人が作ったこれほど妙なる調べを知らない。

けれども音楽の秘めた可能性には
いわば汚れを知らぬ高みを
影がものの存在を伝えるように
ただそれとなく示唆をする力がある

チリを払い、
汚れなく高い音を知り
自ら内省し、あるべき姿にひととき
目をやり、止まるための手段になる

それから白日に帰ってからは
季節の風を肌に受け流しながら
己の立つべき位置を知る

善悪美醜の向こう側
石ころのような
落ち着いた力に満ちた   
本当の幸いに憩う

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