聞くたびに、
嗅ぐほどに、
触れるほどに、
いつでも新しい
ひと、木々の輪郭、水の匂い、
周りのそれらが秩序だって
ある人格へと結晶してゆくとき
個の視野として
触れるものにさとらせる円環
完全な抽象は
具体的な外界を絶たず
むしろ外界の全ての欠片と瞬間を因として
その完全なものの発掘を手伝う
ことに応じて照応すべき真理は
そうして現実に現れる
理念で理念を探しても
あえて小さな升を使って
大きな流木を拾い上げるような物
あるべき大小の関係が違う
理念を刻むのは世界の姿
それを目にした己を通じて響くもの
数千年来、洋の東西を問わず
実在は“まこと”の映写だといわれてきた
例えるなら影絵の様に
嘘だと思うなら
半日部屋の中で
言葉だらけの本でもよんで
それから趣味の良い庭の縁側へすわれ
そこで最初に自ずと感じたものを
注意深く見定めよ
そこに、少なくとも
書かれる言葉以上のものが現れる
広い大地の上で
耳は空間ごと聞いている
なんの音とは言えなくても
言葉よりも広い空間が、
目の前に広がる世界を脈うつように流れる
そうして各種の意味の実る木々が
己のうちには繁茂する
もし未だ、なんの言葉ともいえなくても
言葉だけの幼い哲学が
永久に至らぬ全貌が
当たり前の木々の一本一本に
くっきりと現れて映る
歪んだ幻想を遠ざけ
望ましい己を刻む
遠い過去から未来まで
人が求めて止まない
明晰で豊かな人格
哲学が逆立ちしても
その外形しか弁術できぬものの
精髄がありありと浮かぶ
直接に指差すように
同時に体から湧出すように
人もまた、1つの環境
だれかの笑顔と共に
胸から放たれる光のようなもの
繋がろうとする時の、その人自身の姿や
そこで日々を過ごす自身の内にあるもの
それから植物や石の、
高いものを呼ぶ、精緻な輪郭や
季節や時間で流れるように変わる空の色、
草花や人々の気配がする柔らかな風
それら全てに描かれる
一つの秀逸な印象絵画。
人によって、心は身体に結ばれ
道徳の過たぬ宿りを自然が担う。
誰かといる温かな時間
より整った体の感覚
そうしたものを持っている幸せな人は
より容易く、植物の緑や空の青をくぐり抜け
ある幸せに常住する
そのことは、むしろよく子どもらの目に留まり
周りを喜び跳ねるようにして祝福をする
そうして彼らも同じ光を
各自の力に応じて宿す