腰を入れること
武道や舞に欠かせないこと
腰が入ると
正しい勢いと、力に証明された品が
自ずから伴う
科学は、骨の角度であるという
けれど同時に、角度以上の意味もある
腰を入れる
多少の前傾
すると自ずから胸が張り
肺に空気が通り
体に柱が通る
それから腹へと呼吸をする
血液の多くが腹にあるから
呼吸と共に腹が動けば
循環をよくし
内腑をほぐし
神経を整える
気持ちもより明瞭になってくる
背中が曲がっていれば
気持ちが沈み
呼吸が浅くなり
血の巡りも悪くなってくる
腰を入れ、腹に呼吸をすれば
ちょうど、この逆のことが起こる。
血管が通り、神経が通り、気持ちが通り
曖昧な霧は吹き飛んで、
静かで明晰な思いが顔を出す
姿勢はついに佇まいとして
心の良いかたちの連続性が
体の形にそれとしてわかる印象を刻み
挙手に流れ出しつつ
目に見えぬものの印象が
色鮮やかに満ちて
見るひとの目に映る
それは虚飾にならず
真実にそうであることが美しく
外に見えても中のものであるから、
どの時代も、子どもらの求めるもので
武を支え、品格の正しさが依拠するところでもある
無垢であり、体を内から守り、
波風の多い世の中にあっては、心を守る砦でもある。
武道の師匠が、
寝ていても腰は立っている
と言う謎かけのような発言をしたことがあった
その後も武を続けて思うのは、
腰が入らなければ、体の全体が結ばれないということ。
バラバラにならないように全体を結べば
そこにかならず腹への呼吸が顔を出す
腹、腰、中心の軸、一つの体
これらが一つの体の感覚のなかに
一つの印象として落とし込まれる
それは実際、人柄の優しさや、
富貴にかかわらず、真実に高貴な性質にも通じる
スポンジが水を吸うように、
よい性質に染まるための機縁になる
もしも飯が悪く、腹が整わなければ、
姿勢が悪く、体幹も通らなければ
よいあり方を見て、聞いて知っても、
体に留めることは容易ではない
おそらく、知として知るに過ぎないから。
黒ければ黒に染まりやすく、白ければ白に染まりやすい。
体がすでに整って、
それから聞いた言葉なら
水が布へと染み込むように、
自ずから体に馴染むから、
その時には、苦痛のような不協和音をうまず、
その人の中で、体の一部のように和して止まる。
順序の最後に、
もしくは同時に、
知も心も、理想をなして
そうして整えられた、
すでにある幸いな傾向性を持った
体の中に収まり、伸びてゆく。
よく準備された体に
言葉は厚みを増してゆく
続きを自ずから描かせる
それらの準備は特殊の中よりも
姿勢のような、日頃の習慣のなかにありながら
心身が、将来どの方向へ形作られるのか、
運命の岐路を日毎、刻々と定めていく