神の権威を付与しなくても
隣人を愛せよと戒律にしなくても
同じ形の真理を伝えるのに
さして問題はない
自然を祀りかしづくことが
善なる思惟と言葉を由来するものを
より色濃く確かに備えさせる
だれかにそれと意識をされれば祭りとなり
そうでなくても
ただ折々の美に見入ることで
善なる機根が備えられる
そこに幾人かの覚者がいれば
たちまち人々はまことを生きる
日本には宗教がないという
否
宗教が善とまことの標本箱ならば
日本にはまだ生きたままのまことが群生している
日々新たに生じる奥深いものが
世界と我々のあいだを
住まいとしながら
いつもここで生きる者たちを見守っている
羅針盤は
この山林の造形と
吹き抜ける冷たい風の打ち方のなか
神が理想と真善美の本体の代名詞ならば
いままさに耳元を滑るではないか
こんなに眠たい身体の内奥にすら
満ちるではないか
それを隠すもの
日々の雑事で生じる雑音
それらを含みながらも
まことを強めてくれるもの
空川星に静慮を抱く
この国のひとびとの心
ただ見れば良い
味わえばよい
日々の生活とともに
だから私たちは強く
また、善に疎くはあれぬのだ
教えが無いのではない
ないにがよいのか知っているのは皆知っている
知っている知への親和性を高めるのが宗教
自然への畏敬と、その裏に生じる静慮は既に善性
それゆえその日々において
日本は宗教などあってもなくても
西洋でいう無宗教、
感化するものの不在ではありえない