お茶を飲みにいった
珍しい茶器があったから、買いたいと思って
「これを買いたいんですが、売っていますか」と聞いた
「似たようなのはあるが、これは頼んで作らせている」とのことで価格は
「◯万」

思わず
「高い!」と叫んでしまうと
「高いって?こういうのは見た瞬間その値段やとわかるようならなあかん。」
と、店主はちょっとショックを受けたように応えた。

「値切らない
いい値段か、それ以上で買うと
作る方も嬉しいし、もっといい仕事をしようってなる
売る方買う方、使う方、3つがよくなるようにしていくんや」

素直に、なるほどその通りだと思った。

「このお茶は日本の軟水だから美味しくなる
西洋の茶は硬質の水、発酵した茶にはあう
中国の茶はまた違う」

苦い後に甘さがくる
そしてしばらくの長い間、鼻腔にその旨味の香りが留まっている

「陶器がたくさん、あると落ち着くんや」
「割れたら姉妹やけど、割れるものはあじがありますよね」

そんな、他愛もないことを話しながら、ほっと一息お茶を飲んだ。

手間を削ぎきった生活は、かえってなにかを見落として過ごしている気がする
手間のなかに、違う方向にも役立つような発見がみつかることがある
効率の名の下に、生活はかえって貧相になったのだろうか

心一つ落ち着いてあれるためにも
理性は論理を住処にしているが
心の住処はそれよりもっと広い
効率のそとの、一見無駄といわれる生活のすきまにも住まう

TVゲームにはあらわれない質感と、
単純な作業の中で、自由に思いを巡らせる時間

現代はムダが見向きもされない
むしろ、本当に必要なことさえも、
必要だと言葉に表せなければ
多くの人は、本心すらも見過ごされてしまう

子供達の遊びには質感がいる
でも車が危ないから家の中でゲームを与える
そして心の栄養である質感が不足し、
子供の理性が貧弱になり、
単に理不尽な暴力をつくる土壌になる
逆境にたいする弱さもうまれる
子供だけでなく大人でさえも

人との繋がり、自分と向き合う時間
忙しさのなか、失くしていく

そうして体は生きていても、心が栄養不足で貧弱になり
すこしの辛さが、とんでもない辛さに変わる
まるで筋肉のない人に、ダンベルをもたせるようなもの

耐えられるだけの心は
何かに耐えて鍛えるのではなく

心の栄養を食べて手に入れるもの

それが人との目と目のやりとりであり
自分の時間を過ごすことでもあるのだ

 

「たまの雫を落とすように入れるんやで
玉露と煎茶の違いも、興味があったら話してあげる」

大将の、ずっと現役の理由はなんなのだろうか
「某チェーン店でだしている、あれやこれも、
若い時ギラギラやってたときのウチが最初」

そういうけれど味の良さは比較にならない
オリジナルに特有の、行き届いた濃さを楽しんだ

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