おじさんと犬の夕日

ブラジルからおじさんの写真が送られてきた
母親がわたしこの写真がすきなんだといってみせてくれた
庭のロッジから
愛犬の青と、夕日に向かうおじさんと
真っ赤な夕日そのものを写した写真とがあった

夕日と一つになっている情感がありありと写っている
生活をするものと美しさを分かち合う瞬間の、優しい暖かさがにじみ出ている
草の匂いがしてきそうな 橙色の風景

昔おじさんと話したことがあった
一切是空、ブッダは目の前のものはゼロだという
いや、すべては真実ではないか
空虚ではなく多ではないか

ぜんぶなんだよ
と、おじさんは言った
なら、なんでわかりにくい言い方を、とぼくは食い下がった
おじさんはすこし困ったような、でもわかっているような顔をした

代わりに、お前と話しているのは楽しいと、おじさんは言った

写真のおじさんはたしかにゼロになり、夕日のぜんぶと向き合っている
それは犬ですらそうらしい
優しい黄昏が写っていた

対象と2つになるな
古人の言葉がよみがえる

そのとき何をつくりだすのでもない
むしろ向かうもの以外なにもないけれど
1番たしかに、自他の本当が宿る
逆説的でも真実だ

おじさんらしいな
そんなことを思って
しずかに微笑んだ

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